日々の活動報告

『TASK令和6年度臨時理事会』&『TAAF令和6年度臨時役員会

台東区設計事務所協会(TASK)令和6年度臨時理事会、東京都建築士事務所協会(TAAF)台東支部令和6年度臨時役員会を開催しました。

『TASK令和7年度第9回理事会』&『TAAF令和7年度第10回役員会』&『TAAF令和7年度第4回運営会議』

台東区設計事務所協会(TASK)令和7年度第9回理事会、東京都建築士事務所協会(TAAF)台東支部令和7年度第9回役員会を開催しました。

今回は、TAAF令和7年度第10回運営会議も行いました。

2025 研修旅行@長崎

軍艦島と長崎の建築を巡る研修旅行 令和7(2025)年7月5日(日)〜7日(月)@長崎

 

今年の台東支部の研修旅行は、軍艦島をはじめ、長崎の建築や名所をめぐる研修で、20名が参加した。

 

国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館地下の追悼空間。

 

国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館入口前で。

 

原爆記念館、平和祈念館、浦上天主堂
初日は、久米設計が設計した「長崎原爆記念館」(1996年)を訪れ、最後の被爆地の惨状と脅威を体験し、すぐ隣に建つ栗生明設計の「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」(2003年)へ向かった。地下の追悼空間に立つ光柱の上にあるトップライトは、上空500mで太陽のような火球が炸裂したであろう爆心地の空が見えるようになっており、正面には死没者名簿と献花台があり、厳かな空間の中で平和を祈念する。多くの犠牲者が水を求めて亡くなったことから、館内はいたるるところに水が流れていて、地上に出ると大きな水盤が広がり、水盤の底には犠牲となった7万人の命を表す光ファイバーが埋め込まれている。
その後訪れた爆心地公園のグラウンドゼロには、黒御影の中心地碑が立ち、周辺にある被爆当時3,000℃で焼かれた地層や東洋一を誇った「旧浦上天主堂」(1925年)の移築された遺壁を見学した。平和記念公園に移動し、天主堂の見える丘から「浦上天主堂」(1959年再建、1980年改装)を眺め、平和祈念像の前で記念撮影となった。

 

軍艦島デジタルミュージアム
2日目は軍艦島上陸ツアーに参加した。上陸する前に「軍艦島デジタルミュージアム」(2015年開館)で、当時の島の様子や歴史を見学した。島の建物は風化が進み、一部しか上陸できないので、立入り禁止区域のドローン映像を、VRや立体モニターで見ることができた。また、日本最古のRC造の高層アパートといわれる「30号棟」(1916年)の精巧な模型や、その横には施工した清水建設の図面が展示してあり、建築的にも見ごたえのある内容であった。

 

西側の海上より望む軍艦島(端島)。右側(南側)崖下のスケルトン状に崩壊した遺構が鉱員社宅の30号棟。

 

東側にある第1見学広場。崖上に幹部住宅、右奥に端島小中学校が見える。

 

第2見学広場で記念撮影。煉瓦造の壁は総合事務所跡。

 

軍艦島上陸
いよいよ上陸に向けて乗船し、ガイドさんの説明を聞き、軍艦島(端島)が見えてくると島を周遊し、1時間のクルーズもあっという間である。ついに上陸し、第1見学広場へ向かう。当時は埋め立てた緑のない島といわれていたが、緑に覆われた島の元となる岩礁の岩山に建つ「幹部社宅」、ベルトコンベアの台座、遠くに崩れかけている「端島小中学校」が見える。
軍艦島は周囲1.2kmの護岸があり、襲来する高潮で何度も崩壊しているが、第2見学広場に行くと、明治時代に作られた「天川」という石灰と赤土を混ぜて作った当時の石積の護岸が残っている。その向かいには煉瓦づくりの外壁や採掘現場入口等の炭鉱施設が残っている。
第3見学広場では、すでに崩れかけている「30号棟」を遠くから見学した。
2015年に世界文化遺産に登録された軍艦島は、幅160m長さ480mの小さな島に、最盛期には5,200人が住み、人口密度は東京の9倍で、当時最先端の技術と都市機能をもつ裕福な炭鉱都市といわれていた。1974年に閉山し無人島となり51年。当時の面影が微かに残るこの島は、いつまで見られるのだろうか。

 

長崎スタジアムシティ(基本設計:環境デザイン研究所・安井建築設計事務所JV)のPEACE STADIUM。

 

PEACE STADIUMのフィールド。

 

今知亮/アーキテクチャーラボKONオフィスによる集合住宅。

 

グラバー邸、出島表門橋、二十六聖人記念館
午後は自由行動となり、長崎が初めてだった私は、定番の長崎ちゃんぽん発祥の「四海樓」で腹ごしらえをしてから、「グラバー邸」や「出島表門橋」等を見学した。
Ney & Partners Japan設計の「出島表門橋」(2017年)は、出島側が国指定史跡のため基礎がつくれないことから、対岸からのキャンティレバーとなっている。その後、ガウディの様な造形とレリーフが特徴的な、今井兼次設計の「日本二十六聖人記念館」(1962年)を見学した。
前日は試合があり見学できなかった「長崎スタジアムシティ」(2024年)は、試合のない日は朝から開放し、スタジアムでランチができるなど、地域の公園のような施設となっていて、こちらを見学したメンバーもいた。
浦上川と稲佐山を望むロケーションに建つ集合住宅(2025年竣工)は、このツアーの幹事としても貢献してくれた台東支部のアーキテクチャーラボKONオフィスの今知亮さんの設計である。印象的な外壁デザインを構成するランダムな白い壁は、特殊な塗装を施し、空間を拡張する効果や西日対策としても機能している。
夜は稲佐山の山頂に行き、長崎の1,000万ドルの夜景を望むことができた。長崎はすり鉢状の地形になっており、稲佐山だけでなく、「グラバー邸」や思案橋の裏にある風頭山など、少し坂道を登れば美しい長崎の海とまちなみを望むことができる。

 

雲仙地獄、平成新山、島原
3日目は雲仙へ。最初に訪れたのは、硫黄臭とグツグツ音を立てて噴き出す蒸気で、かつてはキリシタンの拷問や処刑が行われた雲仙地獄。この日は気温も高く正に灼熱地獄であったが、白濁した雲仙温泉に浸かり極楽気分に。
その後に訪れた土石流家屋保存公園は、1992年8月に発生した雲仙普賢岳の土石流により被害を受けた家屋が、当時のまま保存されている。雲仙普賢岳は1990年に噴火を始め1991年6月の大火砕流で甚大な被害が発生し、1995年まで度重なる火砕流や土石流災害を引き起こした。当時長崎県の最高峰だった普賢岳にできた溶岩ドームが最高峰となり、1996年に平成新山と名付けられた。この日は雲が多く仁田峠をスキップしたが、一瞬雲が切れて、その平成新山の姿を望むことができた。
その後は島原の鯉の泳ぐまちへ向かった。まちを流れるきれいな湧き水の用水路には、鯉が気持ちよく泳いでいて、風情のある路地が続く。暑かったこの日は、池の見える古民家を改修したお店に入り、島原のスイーツ「かんざらし」で涼んでから長崎空港へ向かった。
空港に到着するとガイドさんが、並んでも購入できるかわからないという幻のカステラ、岩永梅寿軒を買ってきてくれて、みんな大いに喜び帰宅の途についた。

 

松久保 秀昭(株式会社エフ・デザイン)

『TASK令和7年度第5回理事会』&『TAAF令和7年度第6回役員会』

台東区設計事務所協会(TASK)令和7年度第5回理事会、東京都建築士事務所協会(TAAF)台東支部令和7年度第6回役員会を開催しました。

『TASK令和7年度第2回理事会』&『TAAF令和7年度第2回役員会』&『TAAF令和7年度第1回運営会議』

台東区設計事務所協会(TASK)令和7年度第2回理事会、東京都建築士事務所協会(TAAF)台東支部令和7年度第2回役員会を開催しました。

今回は、TAAF令和7年度第1回運営会議も行いました。

『TASK令和6年度第12回理事会』&『TAAF令和6年度第12回役員会』

台東区設計事務所協会(TASK)令和6年度第12回理事会、東京都建築士事務所協会(TAAF)台東支部令和6年度第12回役員会を開催しました。

『TASK令和6年度第11回理事会』&『TAAF令和6年度第11回役員会』

台東区設計事務所協会(TASK)令和6年度第11回理事会、東京都建築士事務所協会(TAAF)台東支部令和6年度第11回役員会を開催しました。

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